【母と娘、どちらが正しい?】映画「母性」感想

映画

こんにちは! パドルです

今日は昨日公開された映画「母性」の感想を記事にします

湊かなえの小説が原作になっていて、ミステリー系の作品かなと思ったのと、永野芽郁が好きなので観に行きました

鑑賞後の率直な感想は

「結局どういうことだったんだろう…?」

でした

鑑賞者に考えさせる余韻を残していて、観た人によって感じ方が違う映画です

詳しくはネタバレあり感想のところで書きます

あらすじ

これは母であるルミ子と娘である清佳の物語です

ルミ子は良家のお嬢様で、母親に大切に育てられてきました

そんなルミ子は大人になっても母親に依存していて、母親が喜ぶことが自分にとっての一番の幸せです

ルミ子は絵画教室で出会った田所という男と結婚し、清佳を産みます

結婚してからは家族3人暮らしですが、ルミ子の母親は度々ルミ子の家に訪れてルミ子や清佳の世話をします

あるとき、幼稚園に通う清佳が祖母(ルミ子の母親)お手製のバッグをプレゼントされました

バッグにはとても可愛らしい小鳥が刺繍されていて、清佳も喜びました

その様子をルミ子もお弁当を作りながら見ていたのですが、そのバッグを受け取って喜んでいた清佳が祖母に

「ピアノのバッグはキティちゃんがいい」

と言うのを聞いてしまい、驚いてお弁当箱を落としてしまいます

こぼれた具材を拾うために近くに来た清佳に対して、ルミ子は

「ピアノのバッグも小鳥にしたほうが、清佳が小鳥好きなことがみんなに伝わっていいんじゃないかしら?」

と優しく諭すように言い聞かせます

その言葉を受けた清佳は祖母に

「あのね、やっぱりピアノのバッグも小鳥さんのほうがいいかもしれない」

と伝えます

このように娘に対して優しくもしっかりと接しているルミ子がですが、この場面を清佳から見ると全く違う印象でした

清佳が

「ピアノのバッグはキティちゃんがいい」

と言った瞬間、ルミ子は弁当箱を床にたたきつけました

そして近くに来た清佳に半ば強制するように

「ピアノのバッグも小鳥のデザインにしてもらったほうがいいんじゃないかしら」

と言います

このように、母と娘の立場からそれぞれ違った視点で物語が描かれていきます

この後も共通した場面がそれぞれの視点から描かれる場面があり、鑑賞者は混乱します

果たして、どちらが見ている世界が正しいのでしょうか?

ネタバレなしみどころ紹介

ここからは、ネタバレなしでみどころを紹介していきます

どっちの主張が正しいの?

「母性」はルミ子と清佳の二人の視点で物語が進みます

同じ場面でも二人の見方がずれているのがとても面白いです

また、それぞれのモノローグを聞いているとそのときに考えていたことや感情も理解でき、二人のすれ違いがより鮮明になります

自分だったらどちらの立場が正しいと思うか考えながら観ると、より深く作品を味わえると思います

母性とは

この映画のタイトルは「母性」です

「母性はどうやって生まれるのか?」

というのも物語のテーマになっています

私はよくある普通の家庭に育ち、親に愛情を注がれてきたと思います

それを当たり前のことだと感じて気にもしていませんでしたが、この映画を観ると

「母親は子どもを産んだから母親になるわけではないのかもしれない」

と思えてきます

「母性」は本能的なものだと一般的に言われていますが、果たして本当にそうなのか?

そんなことを考えながら観るのも面白いです

ネタバレあり感想

ここからはネタバレありで感想を書いていきます

「母性」を観る予定のある方はご注意ください

母と娘の主張

繰り返し書いているとおり、この映画ではいくつかの場面をルミ子と清佳それぞれの立場から描いています

どちらの見ている世界が真実なのかは映画では明らかにされません

したがって、その判断は鑑賞者に委ねられています

個人的には、清佳の見ている世界が正しいのではと思っています

その理由をいくつか挙げるなら、

  • ルミ子は母親という存在に依存しているから
  • 実際に起こった出来事から逆算すると清佳が正しいと思えるから

です

まず一つ目ですが、ルミ子は異常なほど母親という存在に依存しています

ルミ子の実母は不慮の事故がきっかけで亡くなってしまうのですが、その場にルミ子も居合わせていました

そのとき実母と清佳が一緒にタンスの下敷きになっていたのですが、ルミ子は自分の娘に目もくれず母親を助けようとします

結局実母が先に亡くなったので娘を助けたのですが、それほどまでにルミ子は母親に依存していました

また、実母が亡くなった後は夫の実家である義母の家で暮らすことになるのですが、義母のルミ子に対するあたりはとてもきつく、毎日いびられていました

それを見かねた清佳が義母に反抗すると、ルミ子は清佳を怒るのです

「ここに住めるのは義母のおかげなのに、なんでそれがわからないの?」

このように異常なまでに母親に対して依存していることを考慮すると、ルミ子は自分の都合の良いように事実を解釈してるのではと思えてしまいます

そして二つ目ですが、

清佳は自分の祖母が亡くなったのは自分のためだったことを知り、深く傷つきます

そしてルミ子に謝るのですが、そんな清佳の首をルミ子は絞めます

それをはねのけて清佳は駆け出します

この場面、ルミ子の視点だと清佳を抱きしめたけど清佳にはねのけられた、という描写で描かれます

ここでも二人から見た真実はすれ違っているのですが、この後清佳は自殺を図ります

これは二人共通の事実です

自殺を図ったということは清佳がそうするだけのショックを受けたのだと解釈できます

つまり、母親に赦しを請うたものの首を絞められたショックを受けた自殺を図った、と考えるのが妥当だと思います

これはあくまで私の意見で、映画ではどちらが正しいかは言及されません

観る人によって解釈が違ってきます

まとめ

今日は映画「母性」を紹介しました

母と娘の主張のどちらが正しいのか?

鑑賞者によって映画の解釈が変わる映画です

また、女性はいつから「母親」になるのか、いつまで「娘」でいるのか、という深いテーマを描いた作品でもあります

興味がある方はぜひ観てみてください!

今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!

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