【二つの視点それぞれで張られた伏線が回収され、一つの真実が明らかになります】小説「慟哭」感想

小説

こんにちは! パドルです

今日は最近読んだ小説「慟哭」を紹介します

舞台は約30年前、1990年代前半の東京です

幼女連続誘拐事件をめぐって、二つの視点から物語が展開されます

一つ目は幼女連続誘拐事件の捜査を行う警察の視点です

メインとなる人物は佐伯という警視庁捜査一課長

とある大物政治家の隠し子で警察庁長官の娘と政略結婚させられたという背景を持っています

家庭環境は崩壊しており、夫婦そろって浮気をしています

佐伯が事件の捜査を進める中で、マスコミにその背景を見世物にされてしまいます

このように精神的に追い詰められながらも、佐伯は事件を解決しようとします

二つ目は体を壊し入院してしまった松本という人物の視点です

彼は過去に娘を亡くしており、救いを求めています

やがて彼はとある新興宗教に入信し、心に平穏を取り戻せると信じてのめりこみます

この二つの視点は一見何の関係もなさそうですが、物語の終盤で一つにつながります

こんな人におすすめ

「慟哭」はこんな人におすすめです

  • 丁寧に伏線回収される物語が好き
  • 人がどのように新興宗教にはまるのか知りたい
  • 警察ものが好き

丁寧に伏線回収される物語が好き

「慟哭」では二つの視点から物語が展開されますが、その二つはやがて一つになります

それぞれの物語で張られた伏線が終盤で一気に回収されます

序盤では二つの視点のつながりは示されず、私もどうつながるのかまったく予想できませんでした

しかし中盤になってくると二つの視点の共通点がさりげなく示され、

「もしかしたらこういうことなのかも…」

と予想が立てられるようになります

そうなると先が気になって気になってしょうがなくなり、ページをめくるのがやめられなくなります

また、それぞれの視点が頻繁に入れ替わるので、どんどん読み進めてしまいます

終盤で伏線回収がされるときも、今までに張られていたものを再度強調してくれるので、納得して真相を受け入れることができます

人がどのように新興宗教にはまるのか知りたい

「慟哭」では、松本が新興宗教と出会ってから入信し、それに狂気的にのめり込む様が順を追って描かれています

娘を失った悲しみで心に救いを求めていた松本は、とある教団の信者に声をかけられることがきっかけで入信します

教団で活動を続ける中で、松本は教団の人物が教わった儀式をすれば娘が復活するのではと思い始めます

このように、人が新興宗教にはまって取返しのつかないところまで堕ちていく様がとてもリアルに表現されています

私は科学を信じている立場で、新興宗教は信じていないのですが、娘を失った悲しみを何かで埋めたいと思うのは理解できます

また、時代設定が30年前ということもあり、今よりも超常的なものが本当に存在していると信じる人が多かったのかもしれません

新興宗教は現代でも多く存在しており、私も勧誘を受けたことがあります

「慟哭」を読めば新興宗教が信者を獲得ために何をするかがわかるため、変な宗教にはまらないようにすることにも役立つかもしれません

警察ものが好き

この物語は幼女連続誘拐事件を軸に展開します

佐伯の視点では、捜査を進める中で警察組織の人間関係も描かれます

その人間関係は気持ちの良いものではありません

キャリアとノンキャリアの対立に加え、警察庁長官が義父という立場にいる佐伯に対する嫉妬もあります

佐伯の邪魔をしたいがために佐伯の操作方針に反対する人物も登場し、まるで団結していません

そのような事情もあり捜査は難航します

警察組織が決して一枚岩ではないことが克明に描かれていて、現実の警察組織はどうなんだろうと考えさせられます

ネタバレあり感想

ここからは、ネタバレありで感想を書いていきます

「慟哭」未読の方はご注意ください

二つの視点のつながり

この物語のオチは、

佐伯と松本は同一人物だった

というものでした

佐伯は幼女連続誘拐事件の捜査を指揮している途中に娘が被害に遭い、心労と過労で警察を辞めることになりました

佐伯は婿養子だったため、離婚して旧姓の松本に戻ると、新興宗教にはまります

教団の人物から死者を復活させる儀式について知ると、娘の魂を定着させる依代を手に入れるため、幼女を誘拐し始めます

正直私は物語中盤から

「佐伯と松本は同一人物では…?」

と思っていました

なぜなら、佐伯と松本はどちらも左利きだという描写があったからです

私自身も左利きなので、物語の登場人物が左利きだと気になってしまいます

現実世界でも、左利きの人には親近感を覚えます

このように常に利き手を気にしているため、二人の共通点が左利きであるとわかったタイミングで疑い始めていました

その予想は、物語の終盤で松本が元同僚に犯行を止められることで当たることになります

予想があたったことはうれしかったのですが、自分の予想外の展開がないことを少し残念に思いました

ビジネスとしての新興宗教

もう一つ私が印象に残ったのは、新興宗教というビジネスのえげつなさです

物語中にある記者が

「新興宗教の最大の目的は金儲けだ」

というシーンがあります

ビジネスの元手がいらず、信者を獲得してしまえば月会費、出版物、セミナー参加費ということで無尽蔵に資金を得ることができます

また、さまざまな業態が法律で認められていて、かつ税制も優遇されています

30年前の小説なので今は少し事情が違うかもしれませんが、本当に新興宗教というのはえげつないビジネスモデルだなと恐ろしくなりました

信者の方が幸せならばそれでいいという考え方はありますが、自分の大切な人がはまっているのを知ったら私は耐えられないと思います

「慟哭」を読めば新興宗教にはまって身を滅ぼす恐ろしさがよくわかるので、そういうものにはまらないためにも読んでみるとよいかもしれません

まとめ

今日は小説「慟哭」を紹介しました

二つの視点で描かれた物語がやがて一つにまとまっていく、丁寧な伏線回収が魅力の小説です

また、新興宗教の恐ろしさも描かれていて勉強になります

機会があれば読んでみてください!

今日も最後まで読んでいただいて、ありがとうございました!

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